claviareaは作曲家とピアニストという19世紀以来分業化されてきた関係を新しく見直し、共同体的な活動を営むことを主眼においたユニットです。ピアニストの中村和枝はピアニストしての既存のコンサート体制からの脱却をめざし、作曲家の山本裕之はコンサートの企画自体を自らの「作品」と位置づけます。結果として、幾分ふつうでない、もしかしたらちょっとひねたコンサートを続けてきたのかも知れません。
claviarea(「クラヴィアーレア」と読む)の名前の由来ですが、これはラテン語のclavis(鍵(盤))とarea(プレイグラウンド、すなわ ち遊び場)を合体させた造語です。もちろんピアノという鍵盤楽器を用いて自由自在に遊ぶ、という意味合いが込められています。
claviareaはたった二人によるユニットなので、大きなことはなかなかできません。たとえば何百人も入るコンサートや野外ステージなどでリサイタルを開く、などという力はありませんし、そういうものに興味もありません。小さいなりに、また小さいからこそのフットワークの軽さを利用して、小規模で意味も意義も意地もあるコンサートを作っていきます。
規模の小さなコンサートには(特にゲンダイオンガクなどというものでは)、ありていにいうと常に収支の問題がありまして、これを何とかしようとするとたいがい入場料が高くなったりします。しかしそれでは限られた人しかコンサートを聴きに来られなくなってしまいます。claviareaではできるだけ入場料を安く設定し、しかし質の高い内容のコンサートを催していきたいと考えています。「今やらなければならない」内容のものをできるだけ高いクオリティで続けていけるよう、少なくとも自分たちで自らの首を締めないようにしたいと考えています。そこでclaviareaのリスナー(ファン?)の方々には、主旨に賛同していただいて、できるだけコンサートに足を運んでいただければとても嬉しいのです。