claviarea 5c インフォメーション

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●盛岡劇場
今回の会場となる盛岡劇場は大正2年に、最初は民間の有志の出資で建てられます。この年は東京の帝国劇場が完成した翌年なので、近代劇場としては国内でもかなり古いものといえます。ちなみに設計は東京駅も手がけた辰野・葛西建築事務所でした。この建物は演劇や演奏会のために使われ、花巻農学校に勤める宮沢賢治はこの劇場に花巻から何度も足を運んだと伝えられています。岩手のみならず、当時の東北の中でも有数の文化発信施設でした。
戦後の混乱や老朽化を経ていったん消滅しかかった盛岡劇場は、岩手の実業家谷村貞治によって改装され「谷村文化センター」として再興されます。しかし昭和43年に谷村の死去にともなって廃墟と化し、昭和58年取り壊されます。
2度も死んだ盛岡劇場は昭和61年、盛岡市市制100年を機に今度は公立の施設として計画され、平成2年「盛岡劇場・河南公民館」として開館しました。一見普通の公立施設ですが、興味深いのは、当時盛岡市には演奏会用や多目的のホールが既にいくつもあったため、この「公民館」は主に演劇を中心に設計されている点です。それはもともと演劇が盛んな土地にして、一時消滅してしまった演劇ホールの復活を盛岡市民が切望した結果といわれています。もちろん演奏会にも対応できる公民館の良さも兼ね備えています。
盛岡劇場にはメインホールとタウンホールの二つの舞台があり、メインホールは500あまりのキャパシティ、小綺麗な会館といった趣です。一般的にクラシック系のコンサートはこちらで行われるのですが、claviareaの公演は地下にあるタウンホール(キャパシティ約100)で行います。ここは天井が低く音響もデッドな、まさに演劇用の小劇場です。claviareaではこの空間を完全にフラットにし、客席と舞台の線引きを行わないことにより、客席ともども緊張感あふれる場にしようと考えています。

●周辺地図